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どうも、ブクメです☆

長年、ブクメのサッカーな日々のブログを書いてきまして、初の試みです。

現在カンボジアを拠点にしており、割と頻繁に日本には帰れているものの、なかなか、これまでのように日本で育成の試合を多く見てレポートを書くということができない中で、できることを考えていました。育成の選手に向けてできること。その試みの一つとして、自分が関わってきた選手(プロや現役サッカー選手に限らず、育成の選手に伝わるような話が聞けそうな方)にインタビューを取らせていただき、ブログで紹介させていただくことを考えました。

それでも、皆様ご存知のように、ブクメは、結構ひねくれていますので、そういう選手と会える場に行って、話しかけて、お願いして、ブログを書く人と、インタービューされるサッカー選手という状況でいきなり話を伺うというのは嫌で、縁があって知り合うことができ、ある程度、気軽に話せる関係性になっている方が良いなと。

なので、そういう意味では、私は、運が良い方だなと感じています。現在住んでいるカンボジアリーグにも多くの日本人選手が所属しています。その中で、私がサッカーと関係なく行動する中で、以前働いていた仕事の関係で知り合った方と食事をしている場に、ちょうど来ていた日本人の同級生がカンボジアリーグでサッカーをしているという流れから、紹介されて、仲良くなり、今回インタビューさせていただいたのが、カンボジア1部リーグのプノンペン・クラウンFCに所属している鈴木雄太選手になります。

既に、プノンペン・クラウンFC関連の試合は、3試合観戦して、そのうち2試合は、ブログに書いています。「2017/04/29 カンボジアリーグ プノンペンクラウンvsボンケットの試合を観戦してきました。」「2017/05/25 カンボジアリーグ ボンケットvsプノンペン・クラウンの試合を観戦してきました。

面白いもので、ちょうど、初めて鈴木雄太選手を見たのは、まだ、紹介される前で、その試合に関しては、ここでは触れていないのですが、別のサイトでプノンペン・クラウンFCのスタジアム情報として掲載した時に取り上げています(ブクメの日々「カンボジアサッカーの歩き方(RSNスタジアム/プノンペン・クラウン | 2016-2017)」にて。)ちょうど、この試合で足を運ぶ少し前に加入が決まり、その試合は途中出場ということでした。

・・・と、前置きがダラダラ長くなるのが、私の悪い癖と言うことで、実際のインタビューの話に移りたいと思います。

あえて、経歴などは、インタビューの中で細かく触れるということで、大まかにまず触れておきますと、鈴木雄太選手は、三重県出身で小学校は、下御糸小学校、中学校は、明和中学校、そして、津工業高校、専修大学で学生時代を過ごし、その後の経歴がやや特殊で社会人を経験してから社会人リーグなど経て海外挑戦へと移っていき今に至っています。

単純に今に至るまでの経歴だけでも興味深いものになるのですが、ここに至るまでの様々な話は、現在育成カテゴリで頑張っている選手にも、既にサッカーとは違った道に進んでいる選手にも参考になる話が多いのではないかと思います。

本人の言葉でも出てきていますが、サッカーに対して非常にまじめに取り組んでいる方です。正直なところ、プロとして規則正しい生活を心がけている鈴木雄太選手を、遅めの時間まで引っ張り出したりしようとしてしまって迷惑をかけてしまっていることもありますが、優しく接していただいています(すみませんw)

文章の中で、「運が良い」という話も多く出てきますが、これは、非常に重要な要素で、良くも悪くも、流れに逆らいすぎずに、そこで出てきたチャンスをしっかりつかむ嗅覚と度胸が、今の鈴木雄太選手を作っているのかなと思います。

まずパート1として、学生時代のところまでのインタビューを掲載します。

インタービュー

(雑談からスタート。録音機材の話と価格の話から、なごやかに入る。)

(前日に、ブクメは、カンボジア1部リーグのボンケットvsプノンペンクラウンの試合を観戦していました。)

ブクメ:昨日の試合は、相手が一人少なくなってからの方が苦戦しているように見えました。相手は、より攻撃は個人技重視になって守りの部分も固めている印象で、そこを打開することができない中で、鈴木選手が良いパスを出したのに、前線で奪われてカウンターを受けてという形が多くなったように見えましたが。

 

鈴木:ボンケットは、やることがはっきりして、逆に良くなりましたよね。もう少し自分ができることがあったと思うんですけどね~

 

(ここで、本題に。通常のサッカーメディアなどのようなインタービューというよりは、ブログの趣旨である、育成世代の選手たち、特に最も関わらせていただいている浦和レッズの育成世代で頑張っている、悩んでいる選手が最優先、また、その活動の中で縁があった選手、に向けて、更に、選手のご父兄の方の参考になるような内容を雑談の中で拾わせてもらいたい旨を伝えて話に入る。)

 

ブクメ:では、経歴についてこちらでも調べさせていただいたのですが、その情報とすり合わせながら確認しながら、お話を聞かせてください。

 

鈴木:私の場合は、普通の経歴ではないので、もしかしたら・・・

 

ブクメ:逆に、育成の中でも、順風満帆にプロまで上がる選手に関しては、あまり関与しない(基本的に、浦和のトップないしは、プロになれば、サポーターが付きより多くの人にバトンタッチをできるというような意味合い)方針なので、普通の経歴でない方の話の方が、伝わるものが多いと思います。育成は、能力があっても、例えば監督やコーチとそりが合わなかったり、やり方が上手くないと評価されにくいケースなどある。

 

(これ以外に、ブクメが考える今の浦和レッズの育成の状況などを伝えました。)

 

ブクメ:まず、出身は三重県で、サッカーを始めたのは、いつくらいからになりますか?

 

鈴木:小学校1年生の終わりくらいからですね。

 

ブクメ:きっかけは、何になりますか?

 

鈴木:誰かの影響でというよりは、サッカーを始めたのは、自分からですね。運動など体を動かす方が好きで、何かスポーツをやりたいと思っていたのですが、私が生まれた明和町は、ソフトボールの方が盛んで、小学校に入った時には、まだサッカーチームがなく、やはり、よくあるように、スポーツと言えば、サッカーか野球かという感じで、どちらかというとソフトボールは、動かない時間の方が多くて・・・、動きたいタイプなので・・・だから、小さい頃の夢には、サッカー選手かマラソン選手かと書いてあるんですよね。今はマラソン選手には、なりたいとは思っていないのですが。

 

ブクメ:体力はありますか?

 

鈴木:体力の方は自信がありますね。それなりに。

ブクメ:確かに、試合を見ていても、(過酷なカンボジアの暑さの中でも)走れてますよね。

 

ブクメ:小学校の時は、クラブチームなどには所属していたのですか?

 

鈴木:私の小学校は100人くらいしかいなくて、町内で6つのチームが集まったチームというのがありまして、それでも各小学校には、ソフトボールクラブがあったので、割とそちらに持っていかれるケースが多く、私の小学校からは私一人だけでしたね。

 

ブクメ:小学校では、大会などには参加していましたか?

 

鈴木:やや特殊なのですが、全小(全日本少年サッカー大会)にトレセンで出場することになったんですね。明和町になるのですが、地域大会は、松阪市になるんですね(松阪牛の)。

で、三重県内では、他は少年団になるので、運良く優勝して、全国大会に出場することになって、よみうりランドで試合しました。

 

ブクメ:全小は、どのような感じでしたか?

 

鈴木:その時は、予選が4チームで1次予選、1勝2分で勝ち進めなかったんですよね、対戦相手は、福島、鹿児島などとやったと思います。選手宣誓を福島のチームがしていたので運よくテレビに映れたというか・・・笑

 

(後ほど、全日本少年サッカー大会2002を調べてみたところ、松阪JFCとして参加していた大会で鈴木雄太選手の松阪JFCは、鹿児島の川上、島根の高津、福島の油井と対戦して、1勝2分けの2位で敗退となっていました。ちなみに、この年に全小を制したのが、FC浦和でした。)

 

ブクメ:それで、小学校にそのようなキャリアを積まれまして、中学校は?

 

鈴木:中学校は、そのまま明和中学校に上がってサッカー部に入りました。ただ、そこは、特殊で、少年団を立ち上げた監督が、中学校のサッカー部に外部からコーチとして参加していて、それとは別に顧問の先生もいるような形で、半分ジュニアユースに近いような感じなのですよね。それで、練習もサッカー部として活動はするが、練習以外にジュニアユースのように水曜日にナイターがあったりとか、色々な部分でやや特殊でしたが、その方が関わっていなかったら、そこまで伸びなかったかもしれません。

 

その方が少年団を立ち上げたころには、まだ中学校にはサッカー部がなかったのですが、少年団で教えた選手が中学校でサッカーを続けられる環境を作っていただいたのが、その方ですね。

 

その方が、私のサッカーの原点というか、その方に関われたことが大きかったと思いますし、大学生くらいまでは、頻繁に会って相談していましたね。良い大人になったので(それほど、会ったり、相談はしていませんが)報告はしっかりしています。

 

ブクメ:その方の元で中学校は、3年間プレーされていたのですね。この頃は、選抜などはいかがでしたか?

 

鈴木:中学校でも県のトレセンには選ばれていました。でも、中学校では一度落ちていますね。

ブクメ(ここで、少しありがちな質問もしておかなければならないと勝手にひらめく):ちなみに、そのトレセンで現在名前の知られているような選手は、いましたか?

 

鈴木:小学校の時は三重県トレセンには、山口蛍選手がいましたね。小5の時だったと思います。で、なぜか小6の時にトレセンから漏れたと思っていて気が付いたらセレッソに行っていましたね。当時からめちゃくちゃ上手かったですね、彼は。

 

中学校だと、同世代にはいなかったと思いますが、一歳下だと、矢田旭選手(名古屋グランパス所属)とか、上村岬(2016年までジュビロ磐田所属、2017年現在FC今治所属)がいましたね。あとは、一歳上だと、内田健太選手(名古屋グランパス所属)がいましたね。

、Jリーガーとしてプレーしている選手ですね。

 

ブクメ(なんだか、この話をつなげずに、次に質問に移ってしまう):鈴木雄太さんは、どのポジションをやっていましたか?現在のようにボランチがメインでしたか?

 

鈴木:ずっと、ボランチをやっていますね。

 

ブクメ:割と、過去にまったく違うポジションを長くやっていたり、チーム事情でやりたくないポジションをやらされていた過去があるという選手も多いのですが、ずっとボランチをやっていたのですね?

 

鈴木:小学校の頃は、色々なポジションをやっていましたが、中学校からは、ずっとボランチですね。

 

ブクメ:中学までお聞きしました。高校は、津工業高校ですね。高校時代は、いかがでしたか?

 

鈴木:1年生の時に一度辞めようと思ったことがありました。最初の頃、先生と合わない時期がありまして。。入れ替わりで卒業した3年生でキャプテンをやっていた選手が同じ中学校出身の選手で、すごく良い選手だったのですが、ポジションが同じで、たびたび比較されていた。その時の言われ方が、「○○だったらできたのに・・・」という言われ方をされていました。(今考えれば、)その言葉には、色々な意味があったと思うのですが、当時は、そのことがわからずに、どうして比較されるんだろうという思いの方が強かったですね。

 

ブクメ:プレースタイルなど似ている部分があったのですか?

 

鈴木:ボランチで、派手ではないが、プレーが適格と言うか。

 

ブクメ:そういう状況がありつつも、辞めずに続けたのですか?

 

鈴木:そうですね、それでも1年生の頃は、試合も出たことがなかったですし。

 

ブクメ:それは、その先生とそりが合わない部分などが大きかったのですか?

 

鈴木:実力の問題もあると思いますが・・・全国的には、強かったわけではないですが、強豪から良い選手が集まってくる高校でしたので。

ブクメ:経歴を見てみると、高校で良い成績を収めている(2年次に第86回全国高校サッカー選手権で3位になっている)とありましたが。

 

鈴木:そうなんですよ。私は、運が良い方でして、1年生の時は試合に出られなくて、選手権(全国高校サッカー選手権大会)では、スタンドで応援していたんですけど、ピッチの中で同じ年齢の選手がプレーして、自分は何をしているのだろうと思いまして・・・応援しつつ・・・そこから考え方が変わったんですね。それまでは、文句ばかり言って人のせいにして特に何もしていなかったのですが、この経験で、このまま終わるのは悔しいなという気持ちが強くなりました。その時が、一番努力しました。

 

ブクメ:具体的には?

 

鈴木:特にあるわけではないのですが、グラウンドに一番先に入るとか。それが良いことかどうかはわかりませんが、それしか考えられなかったので。

 

ブクメ:それは、ありますよね。育成の選手を見てきた中でも、考え方が変わった瞬間からプレーも変わるという選手も結構見てきていますので、そういうことがきっかけになることは、ありますし、重要なことですよね。

 

鈴木:そういう状況になれたのもラッキーだと思います。

 

ブクメ:それで、大学は、専修大学に入ったわけですね。

 

鈴木:そうですね。

 

ブクメ:専修大は、どのような形で入ったのですか?

 

鈴木:サッカー推薦なのですが、これも運が良くて、たまたま2年次に選手権で3位になっていて、2年次の成績が推薦に大きく影響するので、この成績で関東1部の専修大学への推薦が取れたとも言えます。工業高校なので、就職することを考える選手も多く、私は、ぽっと出でうまく行ってしまったとも言えます。私たちの代はラッキーだと思います。

 

ブクメ:ラッキーは、ラッキーでも、そのチャンスをつかんだことで今があるとも言えますよね。

 

鈴木:選手権で勝ち上がれたのも、運が良かった部分もあると思いますし。実際、準決勝で大前元紀選手のいる流経大柏(流通経済大学柏高校)に、0-6で完敗しましたし。

 

ブクメ:あ、その年って確か浦和レッズユースも、高円宮杯で流経大柏相手に大敗したような・・・。

 

鈴木:高円宮杯も優勝した年なので、そのはずですよ。その年の流経大柏からは、たくさんJリーガー出てますね。こんなうまい選手がいるのかとビックリしました。

 

ブクメ:正直、あの時の流経大柏の強さは異常でしたよね。私も、ちょうど浦和レッズのユースを見始めて2年、3年目くらいの時で当時、高校サッカーを良く知らずに浦和レッズユースも黄金世代と言われていた時期で、山田直輝とか、高橋峻希とか、原口元気とか、普通に高校サッカーより、浦和レッズユースの方が強いし、負けることが考えられないと甘く考えてみていた部分もあったところで、高円宮杯の準決勝で、見たことないような大敗を流経大柏に喫して、驚かされて、高校サッカーの強さを知ったところもありますし、実際は、今は、高校サッカーの方が強いとまで言われることが多くなっている時代になっていますが、当時は、本当に驚かされました。実際、その後も浦和レッズユースは、流経大柏との対戦では、かなり苦戦を強いられているイメージが今まで続いていますが・・・。

 

(この話の時には、お互い、場は違えど、当時の状況下での流経大柏の強さを思い出して苦笑いしてました。)

 

ブクメ:大学サッカーは、まだ見始めてそこまで長くないのであまり詳しくないのですが、当時の専修大は、大学サッカーでは、あまりやっていなかったようなスタイルを見せて強烈な印象があるのですが。専修大学の時は、どのような感じでしたか?

 

鈴木:私は、そんなに試合絡んでいないですけど・・・、当時のサッカーは凄かったですね。私は、AチームとBチームを行ったり来たりしていました。4年生まで一度も試合に出たことはなかったですし。Iリーグとか、出てました。

 

登録などは、結構されたものの、結局、自分の実力が足らずに出られなくて、4年の後期に初めて出場しました。その頃、就職活動をしていたので、就職決まってからなんですよ。

就職決まってから、このまま終わって良いのか、両親にお金を出してもらって東京に出て来たのに、このままで良いのかという。

 

結構3年生までは、ひどかったんです。夢を持って東京に出て来たのですが、でも・・・、色々難しいことがあって・・・。

 

ブクメ:遊んでしまったとかですか?

 

鈴木:遊んでしまったということはないのですが、サッカーに対して真剣に取り組めていなかったです。もったいない時間を過ごしてしまったと思います。

でも、大学は、そうなってしまう選手が多いと思います、実力があっても。

私は、実力がともなってもいなかったのですが。

 

大学って、基本的に(関東1部クラスになると)下手な選手っていないじゃないですか?その中で、何か持っているとか、できるとか、ないとダメじゃないですか。

 

ブクメ:3年生までの苦しんでいたという状況に関して詳しく聞かせてもらえますか?私が知っている選手でも、浦和レッズユースを経由して大学に進学して、そこから思うようにいかないという選手も多く見てきましたので、できれば参考になるような話をいただきたいです。

 

鈴木:どちらかというと、私は、やらかしてしまう方というか、性格が真面目なところもあるかもしれませんが、それで失敗をしてしまうというか。

大学1年生は、チームのための準備などやる作業が多いのですが、何をやってしまったとかは覚えていないのですが、入部から2か月くらいで失敗をしていまいまして。その時の経験で少し、若かったこともありますが、マイナスに考えてしまったことがありました。

 

大学には、同じ高校から入学した選手がいたのですが、その選手は、1年生から出ていて・・・その選手と、高校生の時にセレクションに行っていて、その選手は、最初からほしいと言われていて、私は、ついでに受かったようなものなんですよ。すごい調子が良かったわけでも無くて、それも運が良かったというか・・・。

 

大学によると思いますが、専修大学は、当時、コーチがサッカー、監督が社会人になるための厳しさを教えるタイプで、その流れの中で、(これも、言葉に対して最も敏感な高校生や大学生くらいの世代だったからと今思えばあるがという話を踏まえて)言葉の中の深い意味を理解できずに、素直に受け取りすぎてしまって苦しんだ時期もありましたね。

 

1年生、2年生の頃は、がんばろうという気持ちがあったのですが、AとBを行ったり来たりすることで、Bに落ちると、なかなか上がれないという状況があり、そこでさらに気持ちを入れなおしてやることができなかったんですね。そうなると、やはりうまく行かないですよね。

 

ブクメ:例えば、ユースを見ていても、AチームとBチームになってしまった時に、応援する側からすると、ここでアピールしないと、いつまで経ってもAチームに上がれないぞ、となるのですが、実際の状況を考えてみると、Aチームのように、それぞれのポジションに慣れた選手がいて、形がある程度できている中に、入ってプレーする状況と比べると、Bチームは、選手の入れ替わりが多かったり、Aチームから落ちてしまった選手と、下の学年の選手がこれからアピールしていくという状況がミックスされる中で、そもそもチームとしての形もまとまっていない、全体的なモチベーションも難しいところがありますが、同じようなことはありましたか?

 

鈴木:ありましたね。どちらかというと、這い上がろうとする選手が抑えられるというような雰囲気というか、私も、這い上がりたい気持ちがないわけではなかったものの、そういう雰囲気で、その気持ちが出せていなかったというか。年齢的にも、一番流されやすい時期というのもありましたね。

 

ブクメ:変な意味で、かっこつけないといけないような時期でもありますね。

鈴木:しかも、私は三重県から東京に出てきたので、東京には楽しいこともたくさんあるわけじゃないですか。部活ならではの付き合いもありますし、そこを断れない雰囲気もあります。

 

それでも、4年の後期に出場する前にもAチームに上がることも何度もあったものの、そのチャンスをつかめずに、またBに落ちるなどありましたね。

 

 

鈴木:結果的に、1年生の時は、チームもあまりうまく機能せず、2部に降格してしまったりしました。選手は、良い選手がそろっていたのですが・・・。

 

ブクメ:なるほど。ちなみに、同期で浦和レッズユースからの選手はいましたか?

鈴木:同期では、浦和レッズユースからの選手はいないです。1つ下の学年に、加瀬光、利根川良太、新井貴晴がいましたね。

 

(この話題から、専修大学に所属していた浦和レッズユースの育成出身の選手が海外挑戦をしていたという私が聞いている情報や、鈴木雄太さんが聞いている情報などで盛り上がったものの、細かい確証がないため、省略しますが、話は盛り上がりました。)

 

鈴木:大学でも色々ありましたけど、良い経験になりましたね。3年生の時に専修大学は、日本一になったのですが、その時から、サッカー部の中から全部が変わったというか、1つ上の先輩方がサッカーに関しても、それ以外でも、Bチームの方も含めてすごい方が多くて。

(ここで、鈴木雄太さんが卒業した年に入部した浦和レッズユース出身の中村駿介選手の話に変わって、ここも、盛り上がりましたが、不正確な情報が多いので、ここもすみませんが省略します。)

***

以上までが、鈴木雄太選手の学生時代の話になります。

いかがでしたでしょうか?インタビュー形式にまとめていくと、少しまじめすぎる文章になってしまいましたし、当然、書かない方が良いだろうということや、不確かな情報のために書けないことも多くなってしまいましたが、掲載した内容以外にも、凄く重要で参考になる話も多く聞けました。この辺りは、ブクメが、吸収させてもらって、同じような境遇があった選手などいた時には、伝えさせてもらうこともできると思います。

多くの選手が似たような状況下にあったり、昔そういう状況だったりしたかもしれません。

しかしながら、鈴木雄太選手の特殊な人生は、大学卒業から始まります。まだ、まったくまとめられていませんので、掲載できるのは少し先になると思いますが、社会人以降のインタビューをお楽しみに!

ではでは。

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プノンペン・クラウンは、カンボジアリーグの中でも独自のホームスタジアムを持ち、サポーターも熱心に試合に足を運ぶチームとして知られています。上記は、オリンピックスタジアム開催されたアウェイゲームでしたが、ビッグフラッグと共にサポーターも駆けつけていました。

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